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【実体験】双極性障害の診断を受けるまでのお話

こんにちは、のの(@mentalhelp_labo)です。

ある方に双極性障害の診断を受けるまでの経緯をお話して、嫌なことも含めていろいろと思い出したので、これを良い機会だと思い、実体験を時系列に沿って記事にしようと思います。

それでは、まず発症までの経緯から書いていきます。

発症までの経緯

小学校から高校までずっと生徒会活動に励んでいた私は、当然のように大学でも自治会に所属しました。

(生徒会活動に馴染みがない方は「小学校から高校までずっと野球部で練習に励んでいて、大学でも野球部に入った」という形で読み換えていただけるとイメージが湧くと思います。)

私は単純に生徒会活動が好きで、人の前にでることで緊張したのは小4のときに初めて全校生徒の前に立ったときくらいで、本当に「臆することなく」人前でマイクをもつことができていました。

(馴染みのない方には意味不明、馴染みのある方でも「いや、それはないよ」という感じだと思いますが、「とにかく野球が好きで、試合で初めてバッターボックスに立ったときは緊張したけど、それ以降は緊張せずに楽しんでバッターボックスに立てていた」という感じに読み換えてもらえるといいと思います。)

大学2回生のとき、自治会で大きな任務を与えてもらい、私自身もその期待に応えようと必死でした。

今思うと、自分自身が自分に期待をかけすぎていて、大きすぎるプレッシャーを感じていたんだと思います。

大学の講義とバイトのとき以外は常にそのことを考えていました。

実家から2時間かけて大学まで通っていましたが、毎日終電で帰る日が続き、親からも下宿することを許してもらい、一人暮らしも始めました。

急にその日はやってきました。

学校に行っていて自治活動部屋にいるのに、講義に出られなくなったんです。

体が自分の意思に反して、ただ動けない。

学生の本分は勉学であり、自治会活動だけに専念しているのはまずいことだと認識していたのにも関わらず、体が動かなかったんです。

講義時間が終わり、同じ講義をとっている友人が部屋に来て私に言いました。

「学校来てるなら講義出ろよ。ここにいるのに講義出ないってやばくないか?」

友人はもっとものことを私に言ってくれたのですが、友人から言われたことで「いけないことをしてしまった」と自責の念にかられたのです。

その次の日から、私はほとんど学校にも行けなくなりました。

バイトも他の人に代わってもらうことが多くなりました。

行かなきゃと思えば思うほど、私の体は一向に動いてくれません。

そんな自分の存在価値もわからなくなり、「死にたい」とまで思うようになりました。

そんな日々が3ヶ月ほど続き、そのときの彼氏(現夫)に説得され、私は近くの精神科を受診しました。

「不安障害」との診断

そこでの診断は「不安障害」。

不安障害は精神疾患の中で、不安を主症状とする疾患群をまとめた名称で、その中で最も有名なのが、パニック障害でしょうか。

私は、上述した通り人前で緊張するような人ではなかったのですが、これをきっかにストレスを少しでも感じると手足が震えたり、動悸がしたり発狂してしまいそうになったりとパニックの症状を起こすようになりました。

そこから服薬治療が始まりました。

症状が改善したかと思われるときもありましたが、死にたいと強く思うときもあり、下宿先にひきこもるような生活が続きました。

そのとき自治活動では次年度の役員を決める大事な時期にさしかかっていました。

先輩に「2ヶ月で必ず病気を治して戻ってこい」と言われ、私は2ヶ月で「不安障害」を治さなくてはならない、と自分にまた大きなプレッシャーを与えました。

2ヶ月後、私の病気を治したい気持ちは空回りし続け、自治活動にも戻れず解任という形になりました。

自治活動を一緒にやってきたメンバーに申し訳ない気持ちで自責の念にかられ、「死にたい」「消えたい」と強く思うようになりました。

小さいときから親に「親より早く、しかも自分の意思で死ぬことは一番の親不孝」と言われており、大好きな両親を悲しませることはしたくない、と自殺行為には至りませんでしたが、そのときに住んでいた8階から何度も「飛び降りてしまったら楽なのにな」と考えていました。

そういった日々を過ごしているうちに、私は本当に「不安障害」なのか?と自分の病気を疑うようになり、そのときに通っていた病院からの転院を決めました。

「うつ病」との診断

転院先の病院での診断は「うつ病」。

「死にたい」「消えたい」と強く思い、気分が落ち込み、何もやる気が起こらない状態が続いていたからです。

ただ投薬治療を続ける中で、ふっと心が軽くなるような気持ちになることもありました。

また、この病気は絶対治る!治ったらバリバリ仕事して稼いで…!と思うときもありました。

今思うと、このころから軽躁の症状は出ていたのかな、と思います。

アルバイトも新しいことができる!と思って求人に問い合わせたり、資格をとるための勉強を急に始めたり、ということもありました。

このときは、病気が治ってきてるんだ!と嬉しくなり、新しいことにどんどん手を出していました。

しかし、そうかと思うと「死にたい」「消えたい」気持ちに逆戻りしてしまう、という状態を繰り返していました。

病気が治ってきてる!と思ってしまうがために、良いときのことは医師に伝えないまま、「うつ病」としての治療は続きました。

発症から約3年…「双極性障害」との診断

うつ病と診断されてから約1年半が経ったとき、「学校に行けない状態が続いてるなら、もう実家に帰っておいで」と両親から言われ、実家に戻りました。

それとともに、通院先の病院も変えました。

はじめは「うつ病」として投薬治療を続けていましたが、詰めて通っているうちに主治医からこう言われました。

双極性感情障害である可能性が高いね」

私が治ってきていると感じていたときは軽躁の症状が現れていたときなんだ、とそのときやけに納得したのを覚えています。

そうして、「双極性障害」という診断のもとでの投薬治療が始まりました。

以上が、私の双極性障害の診断を受けるまでのお話です。

みなさんに知っておいて欲しいこと

この一連の流れを経験したからこそ、私が皆さんにお伝えしたいことは3つあります。

  • 自分が思っているよりも体は正直です
  • 違和感を感じたら早めに受診を
  • 良い状態のときも悪い状態のときも医師には伝えましょう

自分が思っているよりも体は正直です

頭ではわかってるんだけど、体が言うことを聞かない!という体験、みなさんにもあると思います。

会社でのプレゼン発表…手の震えが止まらない!

掃除や洗濯、家のことやらなくちゃいけないのはわかってるんだけど、なんだか体が動かない!

などなど…ご経験ある方も多いのではないでしょうか?

体は自分で思っているよりも正直です。

しんどいときはしんどい、と体を労って休めてあげてください。

違和感を感じたら早めの受診を

体が悲鳴をあげているときには早めの受診をおすすめします。

早く正確な診断がくだれば、正しい治療で寛解(症状が緩和されること)が早くなります。

私の夫もうつ病ですが、受診が早く治療に早くとりかかったので現在ほぼ寛解しています。

良い状態も悪い状態も医師に伝えよう

これは私がしなかったことです。

うつ病から完治に向かっていると確信をしていた状態が今思えば「軽躁」の症状でした。

しんどい状態のことはもちろん伝えて欲しいですが、できたことや頑張れたことも医師に伝えてください。

正確な診断とその治療のために必須です。

最後に

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

いま現在、双極性障害で苦しんでいる方、また他の精神疾患で悩まれている方…

寛解までは長い道のりだと思いますが、無理に完治を目指さず、共に生きるスタンスで病気と付き合ってみませんか?

私もまだまだ寛解には程遠いですが、共に生きるというスタンスで日々過ごしていると少し気持ちが楽になりました。

みなさんが少しでも笑顔で日々を過ごせますように願っております。